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はじめに ☆4精霊 ☆3精霊/イベント関連 ☆3精霊/恒常ガチャ ☆2精霊 ☆1精霊 はじめに モノリスとゴールドを消費することで精霊を進化させることができます。 精霊が進化するとレアリティが上昇し、アビリティが開放されます。 本ページでは便宜上モノリスを以下のようにグループ分けしています。(植生、量子超越など一部のモノリスを除く) 下位:熱・冷・乾・湿 の4種 中位:哲学・錬金・窮理・星学・神学・博物・解剖・詩学 の8種 上位:二重螺旋・超弦理論・極微機械 の3種 グループごとにまとめると、精霊の進化時に要求されるモノリスは以下のようになります。 ☆1→2:下位 100個 ☆2→3:下位 100個、下位 50個 ☆3→4:下位 100個、下位 50個、中位 10個 ☆4→5:中位 100個、中位 40個 ☆5→6:中位 180個、中位 100個、上位 10個 ☆4精霊 [部分編集] 司るもの 名前 ☆4→5 ☆5→6 備考 中位(100) 中位(40) 中位(180) 中位(100) 上位(10) 憤怒 グネィヴ 願い エルバ 解剖 星学 星学 神学 極微機械 正義 プラブダ 神学 哲学 哲学 詩学 二重螺旋 疾走 トーチャイ 詩学 錬金 錬金 窮理 二重螺旋 駆動 マシーナ 第1回蝕イベ特効 地図 スヴェット 第2回蝕イベ特効 食事 ハラナ 窮理 博物 博物 解剖 超弦理論 第3回蝕イベ特効 灯火 スヴェトラ 博物 解剖 解剖 星学 極微機械 第4回蝕イベ特効 修行 メディティア 哲学 詩学 二重螺旋 第5回蝕イベ特効 賭博 コスカン 第6回蝕イベ特効 決闘 ボルバ 博物 解剖 神学 哲学 二重螺旋 第7回蝕イベ特効 聖夜 バーンティキ 星学 神学 神学 哲学 二重螺旋 第8回蝕イベ特効 茶会 チャーヤバランナ 第9回蝕イベ特効 司るもの 名前 ☆4→5 ☆5→6 備考 香り ミリス 植生 量子超越 外伝「精霊の進化」クリア報酬
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木田元 『ハイデガーの思想』 岩波新書 1993.2 (著書が推薦する比較的読みやすい邦訳) 『存在と時間』 細谷貞雄ほか訳 理想社 『形而上学』 大江訳 理想社 『形而上入門』 川原訳 理想社 『ニーチェ』 細野訳 理想社 『ヒューマニズムについて』 佐々木訳 理想社 『○(木偏に山)道』 創文社 『詩と言葉』 三木訳 理想社 『哲学とは何か』 原訳 理想社 「ドイツ大学の自己主張」『三〇年代の危機と哲学』 イザヤ書房 「ハイデガーの弁明」『理想』 1976.9号 「アリストテレスの現象学的解釈」『理想』 1992.3 (その他:プラトン、アリストテレス、カント、ニーチェなどは除く) 『パウル・ツェラン全詩集』 青土社 ギュンター・グラス 『犬の年』 中野訳 新潮社 ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論考』 奥野訳 大修館 同 「ハイデガーについて」 黒崎訳 「倫理学講話」 杖下訳 『ウィトゲンシュタイン全集』 大修館 第5巻 ユクスキュル 『動物から見た世界』 日高訳 思索社 シェーラー 『宇宙における人間の地位』 亀井訳 白水社 サルトル 『実存主義とは何か』 伊吹訳 人文書院 メルロ=ポンティ 『行動の構造』 滝浦訳 みすず書房 同 『見えるものと見えないもの』 同 同 (その他:プラトン、アリストテレス、カント、ニーチェなどは除く) 『パウル・ツェラン全詩集』 青土社 ギュンター・グラス 『犬の年』 中野訳 新潮社 ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論考』 奥野訳 大修館 同 「ハイデガーについて」 黒崎訳 「倫理学講話」 杖下訳 『ウィトゲンシュタイン全集』 大修館 第5巻 ユクスキュル 『動物から見た世界』 日高訳 思索社 シェーラー 『宇宙における人間の地位』 亀井訳 白水社 サルトル 『実存主義とは何か』 伊吹訳 人文書院 メルロ=ポンティ 『行動の構造』 滝浦訳 みすず書房 同 『見えるものと見えないもの』 同 同 デリダ 『精神について』 港道 人文書院 ファリアス 『ハイデガーとナチズム』 山本訳 名古屋大学出版会 リオタール 『ハイデガーと「ユダヤ人」』 本間訳 藤原書店 ガーダマー 『哲学修業時代』 中村訳 未来社 レーヴィット 『ハイデガー・乏しき時代の思索者』 杉田訳 未来社 同 『ナチズムと私の生活』 秋間訳 法政大学出版局 スタイナー 『ハイデガー』 生松訳 岩波同時代ライブラリー 丸山真男 「歴史意識の「古層」」『忠誠と反逆』 筑摩書房 木田元 『現象学』 岩波新書 同 『ハイデガー』 岩波新書 同 『メルロ=ポンティの思想』 岩波書店 同 『哲学と反哲学』 岩波書店
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プレイレポ/BtS/天帝スパイ馬プレイ 『作業中』 文明の曙から哲学入手まで~ パンゲア・マップ標準・3.17パッチ・天帝・速度普通・編集ロック 初期立地~ #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (17たーん_R.jpg) 上手い具合に半島の付け根に配置された神立地だ。再生成がんばったよ。 一歩北の丘陵に行かなかったのは、戦士を動かした結果、海だと分かったから。 首都に小屋を敷き詰めたい関係上、タイルは多く欲しかった。 実は、馬資源がなかなか出なくて困った。 スパイ経済の場合、狭い土地でもなんとかなるのだが、狭いと、どうしても馬が出ないので話にならない。 個人的には、6都市以上研究、4都市又は5都市スパイ経済、3都市文化勝利、それ以下はバチカン外交勝利を目指すのがよかばい。 そういえば、3.19パッチじゃバチカン難しくなったとの噂。6都市でも文化勝利目指してもいいけど、文化勝利は何回もやって面白いもんでもないと思う。 要するに、初期拡張上手くいかなければ、再生成するのがベター。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (knight.jpg)「結局ふつうの結論になっただけじゃな」 普段意識してなかったけど、馬は鉄に比べると湧きにくい資源な気がする。 今回の指導者はアショーカ王。マイブームがインドのUU熟練労働者だから。それとスパイ経済の際は特に宗教志向が強いお。 哲学志向は使いたくなかったので、消去法的にアショーカ王。 組織志向は強いらしい。 金融の次に強いとの評判を聞いたことがあるが、実感しにくい能力である。スパイ経済では裁判所半額がうれしい。 ちなみに馬なしで作れるラクダ弓兵の存在はすっかり失念していた。存在感がないので仕方のないことである。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (knight.jpg)「なら仕方ないね」 余談だけど、初期の注意すべき点 第一に植物の種類。これで赤道の方向がわかる。 第二に他文明との接触ターン。これで敵との大体の距離を推測できる。 第三に他文明の斥候の来た方角。 51ターン紀元前1960年の状況 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (51たーん_R.jpg) 最初の戦士は部族集落から小銭を略奪してくれたものの、あえなく野生動物に喰われる。 半島の付け根の場合、後背地の視界確保を可及的速やかに行わなくてはいけない。 視界確保のための戦士の損失は痛い。 パンゲアは他の指導者の斥候が荒らしまくるので蛮族が湧きにくいが、それらの踏み荒らせない後背地は別だからだ。 開拓者2人出した段階で囲い込み終了。半島は本当に楽である。 もう一人だしたあたりで筆記開発されるので図書館へ。 首都には小屋を建て始める。 研究は特筆すべきことなし。地形改善優先。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (knight.jpg)「都市名についてはスルーしていただきたい、ほんの遊び心じゃ」 各国の位置 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (各国状況_R.jpg) 国境が接してるのはパカル・ハトシェプストのみ。パカルがヒンドゥー・ユダヤ創始。 モンちゃんが仏教創始。西側ばかりに宗教が集まっている。 パカルの国境都市がユダヤ聖都だが、パカルはヒンドゥー教徒なので文化圧迫はなし。 62ターン・紀元前1520年頃からパカルの宣教師が続々襲来。 紀元前1360年にパカルがアポロ神殿を建設しキリスト教を創始した。 おそらくバチカンもパカルが建設しそうなので渡りに船である。バチカン宗教があるとないとでは、生産力に雲泥の差がある。5都市に寺院・僧院を建てるとして溶鉱炉なしでさえ20ハンマーもただでもらえる。3ターンで60ハンマー。 ガリガリくんを3ターンで一本ただでもらえることを想像してもらえれば、どれだけボーナスが大きいかわかるだろう。 図書館建築後にビーカー100%、専門家と小屋パワーで全力で法律に向けて頑張る。 86ターン、紀元前725年に法律開発。このペースは早い方である。 が、マンサにとっくに先を越されてた。 #ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (knight.jpg)「ですよねー。」 法律交換後#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (法律交換後_R.jpg) 早速技術交換 君主政治とアルファベットを入手。法律は美学よりも少し重い技術なので、ちょっとアルファ開発してから交換などの手間がなくて少し楽。 数学が交換テーブルにまだ出てないので仕方ない。君主制を急いだのは、パカル・ラグナルと君主制を好む指導者が二人いたから。 6ターン後、ハトシェプストから数学入手。この段階の取引では、最悪の敵との取引ペナルティーはあまり付かないので、アグレッシブに交換いった。ただし未知の指導者には注意。パンゲアはすぐ皆会いに来てくれるのでありがたい。 ちなみに、小さい技術も交換で手に入れたが、詳しくは忘れたので割愛。 すでに誕生していた偉大な科学者で哲学取得。こっちは一番のりで道教取得。 道教取得時点#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (哲学入手後_R.jpg)#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (宗教_R.jpg)この時点での各国の宗教 ブルはのちに儒教に改宗 その3に続く
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アルトゥール・ショーペンハウアー(1788~1860)は、ドイツの哲学者。実存主義の先駆者とされる。主著は「意志と表象としての世界(1819)」。インド哲学を取り入れたが、深刻なペシミスト(悲観主義者)だった。 「人間にとって生きることは非合理的であり、苦痛に満ちたものとならざるをえない。この苦悩に満ちた生から救われるにはどうしたらよいだろうか。それは結局、意志を否定することによってしかない」と考えた。 ショーペンハウアーの考えは、作曲家リヒャルト・ワーグナーや哲学者フリードリヒ・ニーチェに影響を与えた。 生涯 幼いころからヨーロッパ各国を旅行したため不規則な教育を受けたが、ゲッティンゲン大学やベルリン大学で研究し、1819年に主著「意志と表象としての世界」を執筆。ショーペンハウアーは名声と印税収入を手にできると考えたが、期待は裏切られることになる。 主著を執筆後にベルリン大学で講義を始めるが、彼がするヘーゲル批判に共感する者がおらず、これも失敗する。 1831年にフランクフルト・アム・マインに移住する。 1851年に「付録と補遺」を刊行し、ようやくショーペンハウアーの名声が知られる始める。 やがて学界の枠を超えて急速に広がるが、1860年9月21日にフランクフルトで死去した。 哲学 ショーペンハウアーに最も深い哲学的影響を与えたのはカントだった。カントの偉大さを疑ったことはなかったが、「意思と表象としての世界」に長いカント哲学批判が書かれている。 またプラトンからイデア論を、シェリングから物自体を継承し、盲目的な生存意志が一切の根底であるとした。 人間もこの意志がすべての欲望の元となり、それが満たされないところに苦痛がある。ショーペンハウアーはこの苦痛からの解脱をウパニシャッドや仏教に求めた。またヨーロッパの思想的伝統よりも、インドの思想のほうが厭世的・汎神論的だから優れていると述べている。 名前 コメント すべてのコメントを見る
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新田美波 ベース指導者:ワシントン 設定 志向 好ましい社会制度 平和志向度 全面戦争 諜報重視度 ユニット生産率 遺産建造度 優先分野 初期テクノロジー 哲学志向 表現の自由 8 200 120 25 20 軍事5成長2 車輪農業 固有志向 知らなかった世界 ビーカー+15% 生産速度2倍:図書館 次の建造物から幸福+1:大学 固有施設 「ミスコン会場」 ベース施設 ハンマー 解禁テクノロジー 劇場の代替 75 演劇 「効果」 幸福+1 文化+3 文化税率10%につき幸福+1 2人の市民を芸術家に転向可能 次の資源から幸福+1:染料 軍事ユニット生産速度+15% 固有ユニット 「精鋭弩兵」 ベースユニット ハンマー 解禁テクノロジー 必要資源 移動力 戦闘力 アップグレード 弩兵の代替 60 機械&弓術 鉄 1 6 ライフル兵or擲弾兵 「効果」 先制攻撃1-3 都市攻撃+10 都市防御+5% 対白兵ユニット+50% ミスコン会場の軍事U生産加速だけでもかなり強い、無条件での幸福ボーナス削除するくらいでも妥当かもしれません。 -- 名無しさん (2015-03-06 20 07 18) 名前 コメント
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イェスカ思想 歴史 [表示] 概念 [表示] ・イェスカ哲学・イェスカ主義 人物 [表示] 著書 [表示] ・革命序説・ファールリューディア宣言・教法学的社会主義とその理論・やさしい正しいイェスカ主義・「民会」の限界とそれに対する代替案の提案・イェスカのために・普遍主義的クハンテールと主体的統一のイェスカ主義復興・イェスカたちの行方 潮流 [表示] 組織 [表示] 国際組織・国際蒼色機関・国際イェスカ主義政党連盟ユエスレオネ・ユエスレオネ人民解放戦線・ユエスレオネ共産党・ユエスレオネ社会党・ユエスレオネ社会党ステデラフ・イェスカ派(IDLT)・ユエスレオネ統一社会党・ユエスレオネ連邦人民戦線・ファルトクノア社会行動党・ファルトクノア共産党・デュイン社会民主党ハタ王国・王国共産党・王国共産党ハフルテュ派(HAGID-H)・王国共産党解放派(HAGID-IT)・王国社会党南サニス・統一解放戦線・統一共産党・国教会教法会議・イェスカ思想連合党PMCF・ヴェフィス社会党学生運動・連邦革命的学生同盟・ユエスレオネ中央大学イェスカ主義研究会・ユエスレオネ中央大学アレス学派教法学研究会・旧共産党大学教法学研究会・アイン・イェスカ主義学生同盟・天神大学イェスカ主義研究会・イェスカ主義学生同盟改革派・イェスカ主義学生同盟労協派大宇宙・イェスカ主義マーカス革命党・イェスカ主義産業労働党「連帯」・エメルダ・イェスカ党・ルリスティア勤労民草党・アポラ・イェスカ主義行動党・国民民主戦線/イェスカ主義政治グループ・闘争的人民武装戦線 関連項目 [表示] ・ユエスレオネ連邦・南サニス連合王国カラムディア・ハタ社会主義王国 イェスカ思想(理:jeska tisodel)とは、ターフ・ヴィール・イェスカによって展開された思想を基盤として発展した思想潮流である。 目次 概要 関連ページ 概要 イェスカ思想は、その哲学的な側面であるイェスカ哲学と政治思想的な側面であるイェスカ主義に分かれる。1990年代からターフ・ヴィール・イェスカによって形作られた哲学思想を起点として、その政治的な展開は主にユエスレオネとそれに関わる国家で行われた。 イェスカ思想という単語が実際のイェスカ思想の展開において使われることはあまりなく、もっぱらイェスカ哲学かイェスカ主義という名前で展開されるものが殆どである。phil.2020年における第三政変頃からは新イェスカ主義の影響によってイェスカ哲学とイェスカ主義を標榜する者の間での確執が強まったとされている。 イェスカ主義文学批評やイェスカ主義倫理学などイェスカ主義と名はついているものの、イェスカ主義の傍流として参照されることが少ない派生領域が存在する。 関連ページ イェスカたちの行方イェスカ主義イェスカ主義倫理学イェスカ哲学イェスカ思想のサイドバー
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情報保管庫 http //www.sanynet.ne.jp/~norio-n/NIKKI/42.html 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 ■ 不連続な読書日記 ■ No.42 (2001/03/11) 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 □ 入不ニ基義『相対主義の極北』 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 入不ニ基義さんは『相対主義の極北』の序章で、地平線と国境線のあり方の違い、 足の裏と地面が接するところには「影」があるのか、といった二つの問題を提示し ています。(これらについては、本論の158頁と175頁でそれぞれ明示的に「解答」 が与えられていました。) 私自身はこの二つの問題にそれほど強い「問題性」を感じないのですが、これらが 単に言葉の定義や使い方の問題ではなくて、真正の「哲学の問題」であることは間 違いないと考えています。正確にいうと、そのような問題を「哲学の問題」として 捉えた入不ニ氏の感覚は、紛れもない「哲覚」であると思っています。 扇風機の中心点は回っているかとの問いに関心を示さなかった芥川龍之介のことを、 だからあいつは駄目なんだと稲垣足穂が評したという、私が気に入っている逸話が あります。(もしかしたら記憶違いかもしれない。)しかし、これは、だから芥川 龍之介が駄目なやつだったということではなくて、ただ稲垣足穂の「哲覚」と芥川 龍之介の「哲覚」(もしあったとして)が異なっていただけのことです。 念のために書いておくと、私はここで「哲学の問題」をめぐる相対主義を唱えてい るのではありません。ちなみに私自身は、たとえば地球外生命ならぬ人間外知性の 実在と(人間による)その認識可能性、あるいは言語未生以前の思考の実在とその 認識(再現=追思考)可能性、さらにいえば私自身の思考の偶然性といった事柄に 限りない「問題」を感じ続けてきたのですが、それは入不ニ氏の「問題」が真正の 「哲学の問題」であることを肯定する根拠、私と入不ニ氏とが「私たち」であり得 ることの根拠だと思っています。 以上は、十年に一度あるかないかの哲学的興奮をもって読み終えた『相対主義の極 北』をめぐる感想文の補遺として。 もう一つの補遺。岩波書店の「双書現代の哲学」シリーズで、永井均氏の『独我論 ──《私》の存在をめぐる三つのセミナー』の刊行が予告されています。「入不ニ ‐永井論争」以後の独在論の展開に期待が高まります。また信原幸弘氏の『意識の 哲学──クオリア序説』の刊行も予告されていて、これには『相対主義の極北』で のクオリア論との対比を期待しています。 蛇足。実をいうと、今回、「双書現代の哲学」シリーズの既刊、山内志朗著『天使 の記号学』と清水哲郎著『パウロの言語哲学』、それから井上達夫著『貧困の哲学』 を取り上げる予定だったのですが、時間切れのため(?)断念。 ことのついでに書いておくと、リバタリアニズムと共同体主義とを相対主義と実在 主義になぞらえて森村進著『自由はどこまで可能か』を紹介したり、どう関連づけ るかは自分ながら不明ながら多木浩二著『20世紀の精神』も取り上げる予定でした。 さらにさらにいえば、『相対主義の極北』の問題圏に関係するものとして、田邉元 の哲学を論じた中沢新一著『フィロソフィア・ヤポニカ』と、「人間原理」や永井 均さんの独在性の〈私〉論に言及した三浦俊彦著『論理学入門』も。これらの書物 については、いずれ機会を見て紹介します。 ●97●入不ニ基義『相対主義の極北』(春秋社:2001.2) ほぼ15年の時を経て、真正の哲学の書に再びめぐりあえた。ここには確かに「考 えるヒト」がいる。──本書を読み進めながら、この読書感覚は、というより入不 ニ氏の(まさに哲学的としか形容のしようがない)思考の生理のようなものは、以 前たしかに経験した覚えがあると思い続けていた。 プロタゴラスの人間尺度説に関するソクラテス=プラトンの個人主義的解釈の無 効性を衝き、これに替わる思考や認識や概念の「枠組み相対主義」説の詳細な検討 (マクタガートの「時間の非実在性」をめぐる議論やルイス・キャロルの無限推論 のパラドクスとの構造的・論理的同型性の指摘など)を経て、相対主義とその批判 との「非対称的かつ内的な関係」を反復的に産出する場の所在を炙り出し、一番外 側の「枠組みX」や「向こう側性 transcendency」、「遂行的な論証」や「私た ち」の反復(私たちと彼らの差異づけを更新しながら、自らの存在を産出していく あり方をいう。入不ニ氏はこれを「A[A⇔非A]」という基本形式に整理してい る)といったとてつもない駆動力をもったアイデアが矢継ぎ早に提示されるくだり (第2章~第6章)まで来て、やっと確信が持てた。これは、永井均氏の『〈私〉 のメタフィジックス』(1986)を初めて読んだときのあの感覚(神秘感の伴わない 神秘体験?)の再来だと思い至ったのである。 入不ニ氏は本書第7章で、「相対主義の極北」を次のように説明している。《「 私たち」はメタレベルによって相対化されるのではなく(「私たち」に対するメタ レベルはない)、いわば、「私たち」の未出現という非対称的なプレレベルによっ てこそ相対化される。つまり、「私たち」は、「未出現」のままに止まることなく、 なぜかこうして反復されてしまっているということ。その偶然性を、相対主義は極 限値として指し示している。》(184頁) このような地点から見れば、たとえばクオリア(感覚質)をめぐる主観主義と機 能主義の二つのアプローチ、さらには唯名論と実在論、観念論と実在論、相対主義 と実在論といった哲学的な二項対立は、「ないよりもっとないこと」と「あるより もっとあること」との極限的な一致へと到る無際限のプロセスのある切断面でしか ない。本書末尾に記された次の一文は、このような哲学的思考の極北へ達した者に のみ許された言葉だ。《行き着くところまで行き着いた。ひとまずここで考察を終 わりにしよう。》 しかし、入不ニ氏の考察はここで終わらないはずだ。たとえばかつて「入不ニ‐ 永井論争」を経て炙り出された「私3」(単独性の《私》)と「私4」(独在性の 〈私〉)との関係のアナロジーでいうと、「私たち4」の次元の問題(実在論の極 北としての「彼・彼女4」あるいは「彼ら4」の問題、さらにいえば「他者4」の 問題)が残っている。 ヘーゲルは、哲学とは scientia すなわち神学と通底する体系知であり、表象 のかたちで神を捉える宗教に対して、概念において絶対者を把握するのが哲学なの であって、絶対者の自己展開を追認する哲学体系(ミネルヴァの梟)は本質的に未 来を包摂しえないと規定した。(この要約は、廣松渉「マルクスにおける哲学」に よる。ちなみに、廣松論文がいうマルクスの「体系的叙述=体系的批判」の方法は、 入不ニ氏の「遂行的な論証」を思わせる。) 入不ニ氏の議論は、体系の原理的な未完結性を極限まで追及し、一瞬、「私たち 3」の無際限の反復自体を超出する絶対的無限=神と切り結んだ後に、過去現在未 来といった時間様相の始原へと──生を完結させる死と対峙した未来感覚ならぬ、 胎児以前さらには「父母未生以前」(夏目漱石『門』)にまで遡行する「未生感覚」 をもって──位相転換している。この分岐点の所在と構造を主題的に考察すること。 それがもし入不ニ氏の「問題」ではないというのであれば、その解明は、氏の道案 内によって相対主義(実在論)の極北へと到る探求を擬似的に体験させられた読者 である私の仕事なのかもしれない。 註: 「入不ニ‐永井論争」の周辺については、以前書いた文章のなかで言及しました。 ☆ http //www.sanynet.ne.jp/~norio-n/ESSAY/TETUGAKU/17.html 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 ■ メールマガジン「不連続な読書日記」/不定期刊 ■ 発 行 者:中原紀生〔norio-n@sanynet.ne.jp〕 ■ 配信先の変更、配信の中止/バックナンバー :http //www.sanynet.ne.jp/~norio-n/index2.html ■ 関連HP:http //www.sanynet.ne.jp/~norio-n/dokusyo.html ■ このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』 を利用し て発行しています。http //www.mag2.com/ (マガジンID 0000046266) 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
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このレポの趣旨※このレポの注意点※ 以前書いたプレイレポ 設定ゲームの設定 各文明の指導者 ゲーム内容指導者選び 全体の流れ 初期立地 全都市小屋経済 世界宗教 システィナ礼拝堂 小屋を農場に 小町と映姫と偉人生産 研究終了 大芸術家ラッシュ スコアあとがき おまけ このレポの趣旨 「civ4 文化勝利」 で検索すると中級者向け迅速天帝文化勝利ガイドというものが出てきます。 先人たちの英知の結晶であるこの記事ですが、ここで疑問となるのは 「このプレイ方法は、速度普通でも使えるの?」ということです。 確かに本家civ4だとAI間の格差が少なく、文化勝利する前にプレイヤーフルボッコで負けてしまいます。 では東方叙事詩ではどうなのか?東方叙事詩は制覇, 征服勝利のしやすさに目が行きがちですが、 実は文化勝利の方もかなりしやすくなっているのです。 というわけで今回は中級者向け迅速天帝文化勝利ガイドを踏襲しながら、速度普通文化勝利を目指したいと思います。 ※このレポの注意点※ 今回は糞立地ではありません。ご注意ください。 中級者向け迅速天帝文化勝利ガイドの内容を、自分で考えたかのように説明しています。ご注意ください。 文字が多めなので、蛇足説明は読み飛ばしても大丈夫なように青文字で書いています。 以前書いたプレイレポ 現代機甲部隊vsライフル兵with小傘 軍事ユニット生産無しで制覇勝利を目指す国王 群島で星蓮船無双する蓬莱 大農場経済で紫とマスケットを使う皇帝 デュエル9文明で征服する国王 小野塚小町で命を金に換える国王 設定 ゲームの設定 東方叙事詩1.13 English_Patch 難易度 天帝 指導者 人間の里 稗田阿求 パンゲア, 大きさ 普通, 海面 低, 他全てランダム 9文明 速度 通常 各文明の指導者 稗田阿求 哲学創造 プレイヤー。固有志向が文化勝利に特化。 パチュリー・ノーレッジ 呪文哲学 なぜか研究が早い。 リリー・ホワイト 勤労攻撃 どっちつかずの志向は使いづらい。 八意永琳 哲学カリスマ 志向は強いのに弱い。 八坂神奈子 うわばみカリスマ 山というだけで最強。 古明地さとり 金融防衛 遠くにいると少し危険。 チルノ 攻撃防衛 ライフル兵が固有ユニット。 アリス・マーガトロイド 呪文組織 正直弱い。なぜか弱い。 聖白蓮 呪文カリスマ 宗教キチ。ユニット性能は最強候補。 ゲーム内容 指導者選び 文化勝利に選ぶべき指導者ですが、人間の里に限っては全員が文化勝利に向いています。 その中でも飛びぬけているのが 哲学, 拡張志向, 文化遺産+20% の上白沢慧音 金融, 交易志向, 全都市+1 の小野塚小町 哲学, 創造志向, から+2の稗田阿求 この三人でしょう。 どの人も強力ですが、今回の戦略においてはやや弱めと思われる稗田阿求を使いたいと思います。 文化勝利なら阿求一択ですか?確かに、純粋専門家経済ならばそうでしょう。 しかし中級者向け迅速天帝文化勝利ガイドの戦略は、大雑把に言うと全都市小屋経済と呼ばれるものです。 これは小屋スパムをする形になるため、「専門家の金銭が追加される」阿求ではシナジーが低めになります。 ちなみに最強は小町です。文化勝利に限らず、説明不要なほど全指導者中最強でしょう。 全体の流れ 1, 3都市出す 2, システィナ礼拝堂を建てる 3, 大芸術家を生産する 4, 文化勝利する では行ってみましょう。 初期立地 川は少ないですが、食料と草原が多そうな地形です。1発目で引いた立地なので、これでいきましょう。 人間の里の初期技術は 自然酒, 採鉱。採鉱は非常にありがたいです。 研究は 農業(トウモロコシ用) → 車輪 → 陶器 → 筆記。 第一都市の生産は 四季映姫・ヤマザナドゥ → 労働者 → 戦士 → 開拓者 → 開拓者。 映姫様は陶器でアップグレードが可能なので、弓を無視して蛮族退治が出来ます。 そもそも蛮族退治は蓬莱がピーク。天帝はAIの視界確保でほとんど沸く余地がありません。 すさまじい周辺立地ですね。草原牛2, コーン1, 金1, あとでわかりましたが鉄も2つ湧きます。 右に博霊神社の文化圏が見えているので、東 → 北 の順番に埋めます。 欲を言うのならばシスティナ礼拝堂用に大理石が欲しかった所。 何事も無く確保完了。都市建設はこれ以上行いません。 都市は限界まで詰めて建てます。拡張志向が無いと衛星度の関係で14程度までしか人口が増えませんし、 序盤の労働者効率、地形改善利用率も減ってしまいます。 全都市小屋経済 第一, 第二都市は小屋都市に、第三都市は小屋都市を経由して偉人生産都市にする予定です。 今回は立地が非常に良いのでどの都市を偉人生産にまわしても良いでしょう。 通常は消去法で選ぶことになると思います。 生産 第一都市:穀物庫 → マドラッサ(図書館) 第二都市:労働者 → 穀物庫 → マドラッサ(図書館) 第三都市:労働者 → 穀物庫 → マドラッサ(図書館, これは文化出力用。創造志向なので半額です。) 労働者の動かし方は、森以外の平地には小屋を建て、丘陵には鉱山を掘ります。 文化勝利は3都市あれば十分なのです。無印時代なら3都市出すのはほぼ不可能でしたがね! 世界宗教 世界の宗教と位置関係。バチカンはワイン。自国もワイン。 博霊神社と相互通行条約締結。道路を引き交易路確保。ついでに2つお隣の文明あたりまで確認します。 研究は 美学 → (アルファベット) → 演劇 → (数学) → 音楽 アルファベットは交換のためにビーカーを入れています。数学は途中で交換。 交換で 漁業, 帆走, 狩猟, 畜産, 弓術(不要), 騎乗(不要), 青銅器, 鉄器, アルファベット, 数学 を入手。 放出は 美学, アルファベット。美学でアルファベットを得た後は、アルファベットのみを放出。 ここまでくれば宣戦布告をされない限り安定します。宣戦布告されたらどうやっても負けなので全力でぬくりましょう。 システィナ礼拝堂 音楽取得。独占。早速今回の戦略のキモであるシスティナ礼拝堂を建てます。 600, 加速資源大理石, +10, 専門家から+2, 国教建造物から+5。 現在、宗教の組織化も無いので化け物みたいな重さです。 音楽が独占状態とはいえ天帝。果たして建つのでしょうか? AD300年 建つんですねー。MOD無し、等速civ4だとここが一番つらいです。 偉人生産都市に建ててても良かったかもしれません。 なぜ40ターン超という莫大なターン数でも建てることが出来たのか?これは東方叙事詩の特性に関係があります。 人間の里以外の文明には固有技術が存在し、これは交換で得ることが出来ません。 たしかに固有技術は強力な性能を持っていますが、技術交換メインのこのゲームでは、ただの寄り道ともいえます。 人間の里は音楽まで一直線に研究ができるので、ターン数的にはかなり余裕を持って建てることが出来るというわけです。 ただし、氷精連合は音楽が固有技術の前提条件なので、積極的に取ってきます。注意しましょう。 確認のためにAIに音楽をばら撒いてみたら、3ターンで建てられたよ!気が狂ってるね! 小屋を農場に 偉人生産都市(第三都市)に灌漑をつなぐために官吏を取ってから、研究ツリー上の自由主義をクリック。 官僚制, (あればカースト制も) を採用。 あとはひたすら労働者を動かす作業です。第一, 第二都市には全面小屋を、第三都市には灌漑農場を敷いて行きます。 第三都市にも小屋があるって?かまわん。つぶせ。後で何倍にもなって帰ってきます。 技術交換は積極的に余り物を拾っていきます。機械(活版印刷用), ギルド(雑貨商用), あたりは狙いたい所です。 今回は教育あたりで両方回収完了。他は工学以下の物を全て回収。 たまに資源交換もします。余った牛でお金を回収。 生産 第一都市:劇場 → システィナ礼拝堂 → 各種寺院 第二都市:劇場 → (中国酒酵母) → 各種寺院 → 各種聖堂 第三都市:劇場 → (ワイン酵母) → 各種寺院 → 民族叙事詩 ここまで建てたらあとは適当に。 第一都市はナショナリズム後にエルミタージュ宮殿を建てます。 AD1030年 自由主義研究完了 ナショナリズムへ。 ナショナリズムと活版印刷を取れば研究は終了なので、研究力が必要なのはここまで。 ここまでは研究重視なので 官僚制 + 全都市小屋 が理想的ですが、ここからは大芸術家の時代。 最終的な文化出力のために、2都市小屋 + 1都市農場 が最も理想的な形となります。 また、一人でも多くの大芸術家を生むために、他系統の偉人を一切生んでいません。 研究終了後は文化スライダーに100%を振るので、都市の金銭出力がそのまま都市の文化出力に変換されます。 そのため、自力で文化全盛を達成できる都市を2つ、偉人を産む都市を1つの形が最も効率的です。 小町と映姫と偉人生産 パターン化を交換で入手。生産は小野塚小町。 映姫様、小町の両方をスペルルートに進ませ、第三都市でEXスペル発動! 映姫様のEXは+1, 無償の専門家+1, 都市の維持費-50%, 都市から離れると消滅。 そして小町のEXは-50%, +100%! 民族叙事詩!小町のスペル!平和主義!哲学志向!全てをあわせると、お前を超える+400%だー! って、平和主義を採用し忘れてるじゃないか!哲学の後の 紙, 教育, 自由主義 の研究ターンを全てロスしています。 あわせて大体40ターン分位かな?うぼぁ。 表現の自由と平和主義を一緒に採用。 ミスはしましたが偉人生産都市完成。無償の専門家, 定住大芸術家とあわせて6人体制。ゴリゴリ偉人が沸くよ! 最終的には首都からコーンをもらって8人体制にします。 あとは衛生を補う建造物を建てていきます。 研究終了 ナショナリズム完成、交換で活版印刷を入手。他を適当に交換で入手して全ての研究が完了しました。 文化スライダーを100%に。各都市の文化出力は大体こんな感じです。 第一都市(小屋都市) 500(エルミタージュ+100%) 第二都市(小屋都市) 340(ワイン聖堂+50%) 第三都市(偉人都市) 270(増幅無し) あとは第二都市にもうひとつ聖堂を建てて完成です。足りない分は大芸術家で補います。 AD1460年 って!おいぃ!?白蓮さん何やってますの!?いりませんがなそんな都市! 都市を増やす必要があるのは研究をするときだけ!文化に100%を振った今の状況ではただのゴミです! うう…、都市を焼く選択肢が出なかったので強制自国化しました。 仕方ないです。維持費補填のために富を生産。芸術家を雇って擬似偉人ファームとしましょう。 さて、第二都市に聖堂を…、?必要寺院数…6?まさか…、 し、しまったぁー!押し付けられた都市にはすでに中国酒の聖堂が建っているッ! 都市数4では、他の都市に建っているものと同じ種類の聖堂を建てることが出来ないッ! うう、…貴様がこれを狙っていたのなら、予想以上の効果を挙げたぞ!白蓮ッ! 順調に行けばAD1600年台にはクリアできそうでしたが、AD1700年台まで長引くでしょう。 大芸術家ラッシュ とまあ、ここまできたら宣戦布告されない限り大丈夫です。ひたすらターン送りをしましょう。 人口を見ながら鉱山を小屋に変えたり、平原牛を小屋に変えたりとしていますが、無くても 問題は無かったでしょう。 9文明天帝だと終盤のターン送りにかなりの時間がかかります。ユニットが多すぎるんですよね。 AD1765年までに誕生した大芸術家は13人 (+定住2人) そして各都市の文化はそれぞれ 第一都市(小屋都市) 41617 +543 残り + 8000 第二都市(小屋都市) 30240 +365 残り +20000 第三都市(偉人都市) 29151 +310 残り +24000 不足分52000。 大芸術家一人につき+4000なので、今使えば次のターンに全都市文化全盛を達成できるでしょう。 そしてAD1770年 (264ターン) 文化勝利達成! スコア スコアは24102点。 この点数でもアウグストゥス・カエサルなんですね。 あとがき 今回は人間の里で文化勝利をしましたが、別段他の文明で出来ないわけではありません。 固有技術をとらなければ同じ戦略で勝てますし、取るにしても音楽より後に取るという手もあります。 とにかくシスティナ礼拝堂さえ建てば勝ちがほぼ確定するので、大理石を粘ればより安定します。 ちなみに、東方叙事詩では文化勝利の目安はAC1900年と見ても大丈夫です。 通常のciv4での目安がAC1800年前後であることを考えても、 かなりハードルが下がっていることがわかると思います。 天帝をクリアできない、そんな悩みを抱える方は、是非一度試していただきたいと思います。 呪文志向があれば最初からEXスペルが使えると思い込んでいたのは内緒だ!小傘のEXとかね! 氷精連合編に続く おまけ なんかもう、外交勝利でも勝てたんじゃないかな? コメント 技術提供からたった3ターンで完成とはたまげたなぁw -- とある名無しさん (2013-02-15 02 40 30) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/russell/pages/14.html
バートランド・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell)とは、20世紀において活動した、イギリスの論理学者・数学者・哲学者。1872年5月18日に生誕、1970年2月2日に死没。 数学・論理学の分野では、「ラッセルのパラドクス」の発見で知られる。数学は論理学に帰着されうるという考え(論理主義)をラッセルはもち、その思想はホワイトヘッドとの共著『数学原理』で部分的に実現された。同書では、上記のパラドクスが型理論という数学理論で回避されることが示されている。 『数学原理』の出版後は主に哲学者・社会運動家として活動し、その哲学思想は分析哲学の源流のひとつになっている。晩年には核兵器の廃絶やベトナム戦争に反対する運動をするなど、平和運動家としても活動した。 哲学者としては珍しく美文家であり、1950年、78歳のときには「人道的理想や思想の自由を尊重する、彼の多様で顕著な著作群を表彰して(in recognition of his varied and significant writings in which he champions humanitarian ideals and freedom of thought)」という理由でノーベル文学賞を受賞している。 終生無神論者を自称し、彼の葬式ではラッセルの遺言に従い一切の宗教的儀式が行われなかった。
https://w.atwiki.jp/shiotani/pages/40.html
●日本の大学にはなぜ哲学科があるのか。 僕たちはヨーロッパ人ではありません。 一般的に言われている哲学はギリシャから来たという話をしたばかりですが、それだけではないということは当然ご存知のことと思います。もうひとつ、キリスト教の影響があります。 キリスト教はアラビア半島のほうに移り、それがもう中近東に移りました。キリスト教といえば、ローマ・カトリックとプロテスタントを知っていると思いますけれど、起源はエルサレムですよね。それに最初にできた五つの大きい教会のうち、ローマは一番西だった。エルサレムを筆頭として、あとはアレキサンドリア、アンティオキア、コンスタンティノープル。もともと文化中心は中近東と東欧なんですよ。ローマ帝国は東西に分裂したときには民主制に近いところから皇帝制になり、大土地制になっていったときに皇帝を四人たてましたよね。正皇帝が二人、副皇帝が二人。一番とったのは東の正帝です。ビザンチンのほうが文化中心で、ローマは辺境だったんですよ。キリスト教のなかにも違いがありますし、アラブのほうに行って――アラブというのはもっと後にできた概念だからこういう言い方は正確ではないのですが――研究されて、イスラムという形で旧約聖書のつながりをもって、そこで研究されたものがもう一度ヨーロッパに入ってきて、融合して、大航海時代と近代を通過して、いまに至っているわけです。つまり、ものすごくいろいろな要素が入っているわけです。 さきほどお話したとおり、「私はどうして生きているのか」「世界はどうしてあるのか」「なぜ私はあの人が好きなのか」――愛に関してはとても重要なテーマですよ。けれど、それだけで哲学の問いとなるのか。なにを問いたいかということは普遍的かもしれない。でも、どのように問うか、どのように問いにするかというやり方は、哲学はきわめて特殊な問い方をしているわけなのです。 哲学はとても根本的な事柄を論ずる、基礎学である。それは問おうとしているものがすごく根本的だからと思えるかもしれないけれど、根本的なことだったら、そもそも哲学で問わなくてもいいんだよ。ちょっとひどい例ですが、すごく悩んでしまった結果、自殺をしてしまった人がいるとする。しかしその自殺はその人の命をかけた回答かもしれないじゃない。問い方としては間違っているかもしれないけどね。その回答に対して、どうして哲学の問い方が特権的だということができるでしょうか。 つまり、哲学ということで漠然となにかやっている気になっていることに、苛立ちを持ってほしい。日本の哲学者というのはみんな良い人たちで、学会の発表ではなくてお酒を飲んでこういう話をすると、みんな素直にこういうことに関心をもっているわけですよね。 でも、さっき言ったように「哲学」でしょ。ここに来ている人たち全員が大学のポストをもらえるわけじゃないけれど。社会的な要求のセレクションによって「哲学」という枠があってそこで給料をもらえるかぎりは「哲学やっています」という顔をして仕事をするしかないじゃない。「哲学」の問い方が天職であるという人はそれでいいけれど。ヨーロッパの人たちは幼いころから哲学というものの土壌に知らず知らずのうちに親しんできているわけですよ。教会でお説教を聴いたりとかしてね。キリスト教と哲学の交錯はほんとうに複雑で、哲学対宗教、という単純な図式ではまったくない。お互いに貶しあいながらその貶す方法によって大きくなってきた。 カトリックには聖体拝領というのがありますね。キリストが最後の晩餐で「このパンは私の肉である、これを食べなさい。このワインは私の赤い血である、これはあなた方と罪の許しのために私が交わす契約の血である、これを飲みなさい」。そして「この中に裏切り者がいる」と言って使徒たちが「うわあ!」となっているのが有名なダヴィンチの絵ですね。その聖体拝領と、旧約聖書の一部、新約聖書の一部の朗読をする。その合間にミサ曲を賛美歌として歌う。そしてその後に、説教というのが入る。本来はこれを毎日やるんですよ。そういうような暮らしをずーっとカトリックの修道院では繰り返してきたわけですよ、何百年間も伝統的に。 また、フランスでは非常に知的なものを重んじる風土がありますね。日本で言うと高校、大学予備門にあたるような学校にリセというのがあります、その最後にバカロレアという試験があります。バカロレアの第一に重要な科目は哲学の論文です。大学に入る前の子に、六時間、論文を書き続けさせる。全国でもっとも優秀な論文は、フランスでもっとも有名な新聞のル・モンドに全文が載ります。そのバカロレアを通ると、あと大学は無試験です。ただし例外がありまして、パリ政治学院(エコール・ド・ポリティーク)、ナポレオンの時代に作られた大学校(エコール)は、技術的なものを極めるための能力開発的な側面があるので、もっとむずかしい試験があります。フランスの総理大臣はほとんどパリ政治学院の卒業生です。彼らは同時に、哲学者でもある。 彼らは哲学というものが染み付いている。 そうではないところで、日本は大学で哲学科を有しているわけです。なんででしょう。中身云々の話ではなくて、どうして哲学科がいま日本の大学にあるのでしょう。 ●ヨーロッパ的、日本的<1> 僕はもうあまり外国には行きませんけれど、君たちは行くかもしれないね。そのとき、外国人と話をしたときに「どうして日本には哲学科があるの」と聞かれたときにどういうふうに答えますか。 よく昔からあるのは、日本は無宗教の国だと言うと、向こうは驚くわけです。「お前ら人間じゃないんじゃないか?」。なぜならいま言ったように、考えることの基礎として宗教というものを考えているからです。宗教というのは、葬式仏教みたいに死んだときだけ担ぎ出されるものではないし、古代そうであったように戦争に行って勝つために生贄を捧げるとか、そういう神秘的なものだけではない。宗教という概念はものすごく広い。それがまったくないというのを向こうの人が聞いたら、「彼らは人間ではない」と思うのも無理はないんです。 ヨーロッパは植民地で悪行の限りを尽くしてきたわけですが、それは彼らが現地人を人間だと見なしていなかったからです。アフリカの奴隷をアメリカに運ぶにあたってのロジックはすごいよ。アメリカでインディアンが酷使と病気のためにばたばたと死んで、労働力が減ってしまった。どうしよう、困った。しかし伝え聞くとアフリカのほうではサルに近い奴らがいるらしい、それなら文化的な新大陸で飼ってやれば、彼らにとっても極めて幸せだろう、と。そういうことを真面目に考えていたんですよ。そういう背景を考えないでこちらのイメージだけで「日本は無宗教の国です」と言えば、理解してもらえないのは当たり前ですよね。そんな私たちは、哲学というものをどのように知っているのでしょうか。 新田さんは七十歳近くになるおじいちゃんですが、彼はすごく優秀な人で、一生懸命文献を調べて論文を書いていますが、ヨーロッパに行って、それはすごい、これこれを教えてください、となると思う? ならないよね、いまのところ。 日本は科学技術においては、科学技術においては世界のトップを走っている分野がたしかにあります。また、聖書講読学という聖書をテキストとして科学的な方法を用いて分析する分野があります。人文系で最初にコンピュータが導入された分野の一つですが、そこでは日本人はものすごく業績をあげています。ところが、いま言ったようにファンダメンタルな部分に関して意見を言う哲学的な営為に関して、日本人はなにを期待されるか。「科学技術について語ってください」とは、まず言われない。そうではなく、例えば西田幾太郎と現象学の関係性を教えてください、西田独自の思想はあるのでしょうか、とかです。西欧には自分たちとは違う血を入れることによってどれだけ自分たちの哲学が伸びていけるか、という歴史があるんですよ。それに取り残された地域もいっぱいあった。 さっき言ったように、カリブ海の人たちは、二十世紀の初めごろに俺たちはいったいなにものなんだ、ということを散文や詩を使って考え始めた。それがエスニックと呼ばれる思想展開 です。日本においてそれができているでしょうか。日本的ということはどういうことなのか。清少納言が曙光を讃えることなのか、紫式部が世界初の長編ロマン小説を書いたことなのか。仏教は日本的なのか。そもそも「日本的」と言ったとき、それは誰の日本なのか。 われわれ個人の問いというものと、われわれの世代の問いと、われわれの世代を超えた日本という単位の問いはすべて違うものです。あなたはどれに対してそれを問うのでしょう。日本的なこと、日本的な哲学というのは一時期、流行りました。でも、自分の問いとして、根っことして、ルーツとしてそれがどうなっているのか。 ●ヨーロッパ的、日本的<2> 哲学のもっともベーシックといえる部分がヨーロッパ人には染み込んでいます。 ロゴスはロジックになりますが、ロジックは真理とかそういう概念と結びついています。また、知識という語に関して言えば、「間違った知識」は存在しない。「君の知識は間違っているよ」と日本では言いますが、ヨーロッパ人から見ると、それはおかしい。知識(knowledge)は常に、絶対に正しいからです。分析哲学や言葉の哲学では「間違った知識」を「信念(belief)」と言っていますがこれはいわゆる「臆見・ドクサ(doxa)」です。これに対して「知識」は「エピステーメー(episteme)」と呼ばれます。後期プラトンではこの二つが対比されています。 「存在というものは絶対にある」とするかっちりした考え方と、仏教的な文化の一つの典型として禅、そのなかの縁起という思想がありますね。インドにおいて縁起の思想というのはなかなか複雑なものがあるようなのですが、その部派のなかに説一切有部というのがありまして、「法則は実在する」と主張する人たちもいます。それに対するのが、私たちにお馴染みの大乗仏教です。竜樹菩薩(Nāgārjuna ナーガールジュナ 150‐250頃)、が空を説いて、それが「空即是色、色即是空」というフレーズとして日本に入ってきて、私たちは、「空即是色、色即是空? うんうん、そういうのはあるよね」と思うわけです。それらは私たちのなかに染み込んでいる。 ●「業(ごう)」を授ける 昔のものを材料として、判断のための足掛かりとしてとらえるのはとても大事です。何もないところを登っていくのはつらいものね。でも、自分の問いとしてあるか。人から受け取って、人に向けて出すだけということになってしまいがちではないか。 皆さんに貢献するという形で、「正しい知識」を与えていく、これはひとつの訓練としての授業のあり方だと思う。でも、最初に言ったとおり、僕はそういうことができない。ですから、「なんでこんなことを考えなきゃいけないの?」ということを問いかけたいと思います。 これは落語みたいな話ですが、なぜ授業という言い方をするのでしょうか? 大学では講義と言いますが、講義は「義を講ずる」だよね。仁義礼智信のなかのひとつを講ずるという、非常に格調高いものである。授業は、「業(わざ)をさずける」。さっき言ったように「正しい知識」を含めた技術を授ける。でも、僕がここでは授業の「業」を「わざ」ではなく、「どうしてこんなことを考えてしまうのだろう?」という「ごう(カルマ)」を授けることとします。中島義道さんは哲学病ということを言っていますね。「そんなことを考えなくてもいいのに、どうして存在の意味などを考えてしまうのだろう?」と。そんなことよりどこそこのバイトが時給がいいとか考えているほうがよっぽど楽しいのに、問いから離れられない。業(ごう)ですよね。 だから、この授業は、業を授ける時間です。すでに業を持っている人はしょうがない、一緒に苦しみましょう。業を授けられるのがいやな人は、あまり聞かないほうがいいかもしれない。とりあえず、これが私のやりたいことの前置きです。 ●なぜ科学ということをシラバスに書いたか 哲学はどう問うか、ということを考えてきた。問いたいことはみんなあるんですよ。人生の意味、死について、愛について。でも、同じような意味で「科学」というのは問いたい問いになるでしょうか。 僕は問いたいです。 例えば、死というのは僕にとってもものすごい大事な、必ず来るらしい――どうも死ぬ気はしないんだけどね、もしかしたら死なないんじゃないかと思っているんだけれど――ことである。このまえ、車を運転していたら突然人が飛びだしてきて、ブレーキを踏んでハンドルを切って、壁にぶつかる! と思ったときは、死ぬ事を考えました。そういうとき、「死とはなんだろう」と問いたくなるよね。 しかし、科学というのはそういうふうに問いたい問いでしょうか。多くの人は言います。現代は科学のただなかに生きている、携帯を持っていない人はほとんどいないし、メールを使ったりパソコンを使って検索しない人もいない。GPSなんて軍事設備を最近は徘徊老人や子どもの誘拐防止のために使っている。飯を食うにも、自然農法がクローズアップされるほど食品添加物だ農薬だと騒がれている、けれど、それらは入れないと流通システムが成り立たない。科学は、愛とか、死とか、人生や世界の意味とかよりも、ある意味でものすごく陰険な問題のあり方なんですよ。 愛とか死は、まるで私たちの前にあるかのように語られますよね。「愛ってなんだ」といったときに、愛という一塊りのものがあるかのように語りますよね。死も、ペットの死とかお祖父さんの死とか、憎かった奴の死とか自分の死とかあるけれど、一塊りの死というものがあるかのようにして語りますよね。人生の意味も、世界の意味も同様です。 これは脱線だけれど、カルヴァン(Jean Calvin、1509-1564)が「召命」という概念を語っていますね。これは人生の意味を、まさにものとして捉えた概念です。 キリスト教は本当に面白くて、神学には三つのパターンがある 。神様の性格を分析するときに、 ①存在論的神学:スコラ哲学に代表されるような、ある意味で合理的な、神が世界をいかに作ったかという構造的な視点をもつ。このパターンにおいて、神はある意味で構造です。世界を創造に対して理法を考えようとしました。 ②意志論的神学:神が世界をどのように創造したか、に焦点をしぼります。代表はデカルト(René Descartes, 1596 - 1650)です。 ③聖霊論的神学:父=神と子=キリストとをつなぐ、媒介項としての聖霊に注目します。 ルネサンスで初めてギリシャの復興が行われたわけではありません。十一、十二世紀に、すでにオリエントからの写本が絶え、アラビア・イスラム系の研究・解釈を施されたブラトニズム、ヘレニズムの思想がちゃんと戻ってきて、それに入門するかたちでギリシャ思想をとりこんだ。だから、ギリシャのイデア論やアリストテレスの形而上学が、①存在論的神学のなかには組み込まれています。それに対して、デカルトは②擬人化された神の意志を論ずる。ライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz, 1646 - 1716)はデカルトに反対します。「神が悪意をもっていたらどうするんだ?」。デカルトは答えます。「神は完全だから悪意を持たない」。どちらが正しいのでしょう。(笑) ②意志論的神学は、その後イギリスでピューリタリズムとして発展しました。それらの中間に③聖霊論的神学があって、これはインドから伝わってきている「プネウマ(呼吸)」やヨガとも関連して、世界の理法と創造の意志とをつなぐものとして論じられているわけです。 カルヴァンは①存在論的神学です。この神という構造が対応しているのが、カトリックのヒエラルキーであると。ゴシックの大伽藍は神の構造を背景としていた。しかしいろいろ頽廃もおこったわけですね。免罪符を売ったは、教皇領で政治に狂奔するは、陰謀は渦巻くは、坊主が結婚しちゃいけないのにボルジア家では法王その人が結婚しちゃうとか。そこでまじめだったルター(Martin Luther、1483-1546)が聖書との対話ということを持ち出してきて、宗教改革を起こしたのでしたね。 話を「召命」にもどしましょう。人生の意味、と言ったときに、キリスト教では実体的に義務感や責任感を発動させるものとして受けとめられるわけですね。近代のヨーロッパの経済的な側面を支えた義務感を支えるものひとつであり、そして哲学のなかで非常に問いやすい。 それに対して、科学はどういう問いになるでしょうか。 いまはみんな科学科学って言うじゃない。インフルエンザのワクチンの安全性だって、DNA鑑定の確実性だって科学的検証がキーになっていますね。では科学ってなに? それを指すことはできますか? あたかも指せるかのように語っていはしませんか? 科学といわれるようなものが「科学」と名づけられているのでしょうか? それとも「科学」という名前があるだけで、そこから科学があるように思われているだけなのでしょうか? ――このような問いかけは、じつは哲学のほうに帰ってきます。